巻頭   美学目次  哥座(うたくら)

  

   コトノハ断章 - 「おもひ」の先験性
         

 

        

        やまとうたは、意味から入らず
       従来文法の機能論からも入らず
       
たとへば
       万葉集第二巻第一六三
        
  奈何可来計武 君毛不有尓」
      
ナ・二・シ・カ・キ・ケ・ム  キ・ニ 
       まづ、舌頭に載せたコトノハ
       全身へ、指先まで、落としこむやうに受け止める。そして、
       一音一音に聴き入りつつ繰り返。〜
       それこそ陀羅尼のやうに、
百万遍繰り返すつもりで

        →原稿校正中五行分
         印欧中との言語主体や意味の概念とは根本的に違うという件を明確に。
         俳句第二芸術論に言及 。
 

       すると貧しい一音でしかないのに、
       僅かなことばでしかないのに

       コトノハ
       独自のとなり翼となり 具足したモノコト世界へ
       豊穣なおもひの世界へと、わたくしたちを連れ出してくれる。


       宇宙のスキマのやうな……
       原始宇宙の尻尾のやうな……

       オモヒの懐かしに満ちた世界へ      

 
          


   例 一、 〜 あ・ら・な・く・に
 
(このサイト項目のすべては現代美術製作をすすめるにあたって、制作途上に思いついた個人的メモである。直感にもとづくアイデア定着を最優先に記述しているため、未整理、未検証であることをここに、お断りしておく。)
  ものの本によると、日本には外国語、主に印度語・中国語の陀羅尼を百万遍繰り返し唱えて大学者になった有名なヒトがこれまで何人もいるさうだ。すばらしいことだ。百万遍、しかもありがたい外国出自の陀羅尼となると、マジナイとばかり一笑に付すことはできないのかも。しかし、どうせ同じマジナイくさいものならば、当学者先生自身が暮らしたことも無いはずの外国文化習俗、ことば世界でつくられたマジナイ言葉なんぞ唱えないで、ふだんの自分たちの生活風土に根ざした、ありがたさうなことばを探して唱えていたほうが、考えるまでもなく、自分の身体になじんだことばなんだから、上滑りの無い、もっと深い、もっと開いた思想にたどり着けたはずなのに…。せっかくの天賦の才能を無駄遣いしなくてすんだのに…。

■自然文法としての古代言法
ものごとに折り合いを付けていく。自然や社会や自分や親しいひとへの情。
さらに、過去のおもかげや、未来 の予測感情との折り合い。その際に働くロゴス。
「あ・ら・な・く・に」のこの先験的法則には、自分自身の置き所をめぐってオトシどころを探して
屈折していくこころ。拘泥、詠嘆を、
様々な調整心理を、受け止めてくれる働きがある。


もの・こと」美学の基本を、古代言法に働いている先験的法則に学ぶ。
身体や自然に関係づけた先人の命名法の特徴は、
印・中・欧と異なり、 比較言語学でいう機能的な捉え方に力点を置いていない。
「もの・こと」の姿を単純に、素直に、ありのまま、自然と区別せずに、言葉にしている。(ハ)
この傾向は、現在までも延々続いている。そこで、あらためて、ここに働いている
験的法則を、深く研究し、わたしたちの現代美学研究の主題としたい。

身体語・モノコトの個別言語を、一音一音に意味のある「基語」へと帰納。
その基語にもとづいて、古代から現代までの用語法を分析。
そこに働いている
験的法則を導き出し、さらに、具体的な環境や方法論を推量、定式化。
現代美学空間へと演繹応用する。

*
先験的法則 プラトンのいふイデアの意味に近い。ここでは、古代から現代に至るまで、
わたくしたちの固有文脈に働きかけ、いまでも個々のことばを支配しつづけている基本法則。

 


  ■古代言法(あらなくに等により成立している美学空間。- 事例集
舞踏の身体空間      大野 一雄「おかあさん」
           - おもひの濃さがあらなくに空間を活かした好例。

美術空間        制作中
現代文学空間      水すこし動きたうすみとんぼかな 鴻司
             - 掌 囲ひの綿虫デハアラナクニ -
古典文学空間      万葉集以降の和歌多数。以下へ抜粋。
縄文継承の身体空間     神楽 「細男(せいのう)」 - シンプルの極限美(舞ト神楽歌
前期縄文の造型空間    波状口縁尖底土器 「慧」 - シンプルの極限美(立体

     

 ■あらなくにの従来文法
「活用連語」
@そうではないのに。そうではないことなのに。
あらなく-に ラ変動詞「あり」の
未然形「あら」+打消の助動詞「ず」の未然形「な」+接尾語「く」,詠嘆の助詞「に」。
Aないことよ,と詠嘆を表す。(*あら-な ラ変動詞「あり」の未然形「あら 」
+願望の終助詞「な」。,あって欲しい。ありたい,の意。

                   
   
             


      万葉集より

      

万葉集第二巻より



藤原宮御宇天皇代 


一六三、大津皇子薨之後大来皇女従伊勢齊宮上京之時御作歌二首
[万葉仮名] 
神風乃 伊勢能國尓母 有益乎 奈何可来計武 君毛不有尓
かむかぜの いせのくににも あらましを なにしかきけむ きみもあらなくに

 大津皇子の薨(すぎま)しし後、大来皇女(おほくのひめみこ)の 伊勢の斎宮(いつきのみや)より上京(のぼ)りたまへる時、よみませる御歌二首
[訓読] 
神風の伊勢の国にもあらましを何しか来けむ君もあらなくに

 


 

一六四、大津皇子薨之後大来皇女従伊勢齋宮上京之時御作歌二首、
[万葉仮名]
欲見 吾為君毛 不有尓 奈何可来計武 馬疲尓
みまくほり わがするきみも あらなくに なにしかきけむ うまつかるるに

見まく欲り我がする君もあらなくに何しか来けむ馬疲るるに



あなたはいないのに、なぜここへ来てしまったのだろう。馬が疲れるだけなのに……。

 


一六五、 挽歌,作者:大伯皇女,大津皇子,歌語り,哀悼,二上山,飛鳥
[万葉仮名]
礒之於尓  生流馬酔木乎  手折目杼  令視倍吉君之  在常不言尓
いそのうへに おふるあしびを たをらめど みすべききみが ありといはなくに

[訓読] 
磯の上に 生ふる馬酔木を 手折らめど 見すべき君が 在りと言はなくに
あなたがいると、 だれも言ってくれないのに……。




二六五、長忌寸奥麻呂歌一首
[万葉仮名]
苦毛 零来雨可 神之埼 狭野乃渡尓 家裳不有國
くるしくも ふりくるあめか みわのさき さののわたりに いへもあらなくに


苦しくも降り来る雨か三輪の崎狭野の渡りに家もあらなくに



          古今和歌集より

         



  巻四

題しらず 読人知らず

186
我がために くる秋にしも あらなくに 虫の音聞けば まづぞかなしき





  巻八

人を別れける時によみける 紀貫之

381
別れてふ ことは色にも あらなくに 心にしみて わびしかるらむ

 



  巻十二

題しらず 紀貫之


597
我が恋は 知らぬ山ぢに あらなくに 惑ふ心ぞ わびしかりける




  巻十四

題しらず 小野小町

727
海人の住む 里のしるべに あらなくに うらみむとのみ 人の言ふらむ

 



             (2008.8) 

   真仮名マトリックス
      万葉仮名

 

 


 ア カ サ タ ナ ハ マ ヤ ラ ワ 
a   あ
    阿安英足余吾網、嗚呼
ka  か
   可何加架香蚊迦鹿日
sa  さ
   左佐沙作者柴紗草散
ta  た
    太多他丹駄田手立
na  な
   那男奈南寧難七名魚菜
fa  は
   八方芳房半伴倍泊波婆破薄播幡羽早者速葉歯
ma  ま
   万末馬麻摩磨満前真間鬼
ya  や
   也移夜楊耶野八矢屋
ra  ら
   良浪郎楽羅等
wa  わ
   和丸輪   

ガ ザ ダ バ
ga  が   奇宜蛾河俄餓我何賀
dza
    社射謝耶奢装蔵
da     陀太大嚢

ba  ば   伐婆磨魔

 

イ キ シ チ 二 ヒ ミ リ イ  
i 
     伊怡以異已移射五夷、馬声
ki
  き(甲) 支伎岐企棄寸吉杵來服刻
ki
  き(乙) 貴紀記奇寄忌幾木樹城
si
  
   子之芝水四司詞斯志思信偲寺侍時歌詩師紫新旨指次此死事准磯為
ti
     知智陳千乳血茅   
ni
     二人日仁爾迩尼耳柔丹荷似煮煎   
fi
     比必卑賓日氷飯負嬪臂避臂匱   
fi
  ひ(乙) 非悲斐火肥飛樋干乾彼被秘
mi
  み(甲) 民彌美三水見視御     
mi
  み(乙) 未味尾微身実箕
ri
      里理利梨隣入煎   
wi
     位為謂井猪藍

 

 ジ ヂ
gi    ぎ(甲)
 伎祇芸岐儀蟻
zi    じ
  自士仕司時尽慈耳餌児弐爾  
di    ぢ
  遅治地恥尼泥 婢鼻弥

 

 
gi  ぎ(乙)
 疑宜義擬
bi  び(乙)
 備肥飛乾眉媚   

 

ウ ク ス ツ ヌ フ ム ユ ル 
u
    宇羽于有卯烏得兎菟
ku
    久九口丘苦鳩来具倶供求救孔玖
su
    寸須周酒州洲珠数酢栖渚   
tu
    都豆通追川津  
nu
    奴努怒農濃沼宿  
fu
    不否布負部敷経歴   
mu
    牟武無模務謀六
yu
    由喩遊湯
ru
    留流類


 グ ズ ブ
gu  ぐ
   具遇隅求愚虞   
dzu ず
   受授殊儒
du  づ
   
豆頭弩    
bu  ぶ
   夫扶府文柔歩部

 

エ ケ セ テ ネ へ メ イェ レ エ
e   え
    衣依愛榎荏得
ke  け(甲) 祁家計係價結鶏
se  せ
   世西斉勢施背脊迫瀬
te  て
    直堤天帝底手代直
ne  ね
    禰尼泥年根宿
fe  へ(甲) 平反返弁弊陛遍覇部辺重隔
me  め(甲) 売馬面女
ye  いぇ   曳延要遥叡兄江吉枝
re  れ
   礼列例烈連
we  ゑ
   廻恵面咲

 

ゲ ゼ デ べ 
ge   げ(甲) 下牙雅夏
ze   ぜ   是湍
de   で   代田泥庭伝殿而涅提弟
be   べ   弁便別部

 

ケ へ メ 
ke   け(乙) 気既毛飼消
fe   へ(乙)  閉倍陪拝戸経
me   め(乙) 梅米迷昧目眼、海藻  

 

ギ べ
gi   ぎ(乙) 擬義気宜礙削
be   べ
   
倍毎

 

オ コ ソ ト ノ ホ モ ヲ ロ オ
o    お
   
意憶於應於飫億隠
ko   こ(甲) 古姑枯故侯孤児粉
so   そ(甲) 宗祖素蘇
to   と(甲)  刀土斗度戸利速
no   の(甲)  努怒野
fo   ほ   凡方抱朋倍保宝富百帆穂
mo   も    毛畝蒙木問聞母文茂門忘物裳喪藻
yo   よ(甲)  用容欲夜  
ro   ろ(甲)  路漏 
wo   を    乎呼遠鳥怨越少小尾麻男緒雄

ゴ ゾ ド ボ
go  ご(甲)  吾呉胡娯後籠児悟誤
dzo  ぞ(甲)  俗
do  ど(甲)  土度渡奴怒
bo   ぼ    煩菩番蕃

 

コ ソ ト ノ ホ モ ヨ ロ 
ko  こ(乙) 己巨去居忌許虚興木
so  そ(乙) 所則曾僧増憎衣背苑
to  と(乙)  止等登澄得騰十鳥常跡
no  の(乙) 乃能笑荷
mo  も   方面忘母文茂記勿物望門喪裳藻毛問
yo  よ(乙) 与余四世代吉
ro  ろ(乙)  呂侶

ゴゾド
go  ご(乙) 其期碁語御馭凝
dzo  ぞ(乙)  序叙賊存茹鋤
do  ど(乙)  特藤騰等耐抒杼





       

   古代言法・一音マトリックス (2008.8記述中)


       
「あ・い・う・え・お・ん」の並びと音の抑揚によって意味を顕す。

あ    希望
らァ   前だしの調子
なァ   勇み足。不安。不安定な一歩。
くゥ    詰まる。押し返される。
にィ    絞る。広がる。主張を通す。




a あ (吾)わたし、大きい、多い、太い、長い、高い、偉大な、新らしい、早い、存在
raら 中心にある、穀、物、米
riり する状態、・するもの
ruる する行為、・するもの
naな (汝)あなた  (大きく、偉大では、高く、存在し)ない
kwuくぅ 組み合わせる、入る
kwoくぉ 中心、基の、軸のある
くぉあ=kЭ音 逆の状態 (行為)、変る
kwiくぃ 元のものを裂く
niに 確かではない
nwiぬぃ 広くない、狭い
nyiにぃ 柔らかくない、固い、新らしい


身体語より  
〔み〕=「身」=満ち満ちた
〔は〕=「歯」「葉」「はは」「腹」「原」{灰」{肺}=よみがえる
〔お=あ=a〕「長い」
〔ら=ra〕「いっぱい」「真ん中」
〔ぬゎ=nwa〕「並ぶ」、  はな/まなこ
〔く=くぅ=kwu〕「入る」「入れる」   口/倉
〔く=くぅ=kwu〕「組み合わせる」 首
〔い〕=いのち「稲」


一般語より  
〔と〕=伝わる
〔のる〕=(神)がおっしゃる
〔はい〕=(いのちを甦らせる){灰」{肺}「ハイ」
〔か〕=(神)がおっしゃる
〔き〕=(気)(木)(君)(黄身)わたしたちを活かす偉大なもの

 

                 
〔も=mo〕「本当に小さい」
〔い=いぃ=yi〕「やさしい、かわいい」〕「柔らかい」

 

 

 

      


   J-POPに見る一音マトリックス 参考一
    J-POP再生を遅くして、く! あるいはカラオケる!

        - 古代言法との比較

歌詞のフレーズごとに、実際の歌声が最大声量となる
アエイオウ母音を重ねてみる。しかも
J-POP再生を遅くしてみる!
ゆっくりと、いてみる。

英語だろうと、漢語だろうと、単語に意味を置かないで
語尾の アエイオウ母音の変化と強弱に注意をはらい聴いてみる。

最後に、
以下三点に気をつけ「ストロボ」をカラオケる!
○ 日本の歌の独自性は、歌詞を離れたメロディーがない点にある。
言葉に節がついたものが日本の歌の本来のスガタだ。
○ もともと日本語には単語というものは存在しない。
歌詞の意味は、漢字で表象される意味と違う。
○ 日本語は、一音一音で意味をもち、「あいうえお」の
発音の変化によってすべてを表現している。 一音一音の発音変化を
正しくすることで心が伝わる。 

いつもと違うスゴイ感動が起これば、あなたは太古精神のDNAを
正等に継承した立派な日本列島原始人ということになる。


 

    ストロボ     広瀬香美

Nobody Can Stop Noァーw  始まったからァー
Anytime Anywhere  きィっと 二人はもォうォー
Fall in Winter Drea(ィー)m

ストロボ ひ(ィーかァあった 出会あった あァの夜 
テレちゃうくらァい  テレちゃうくらァい
心のメェモリィ いィっぱいにィなった 
あなただけでェー あなただけでェー
スネル素振り 私を急に振り返るまなざしィー
めぐりめぐる瞬間よ 憧れも 想いでも 大切な宝物
Romantic Mystic Love

愛しくて 夜空の星をみあげて あなたの声を聞かせて
つのる 想い 誰も とめられないィー 
逢いたくて 恋するスピード上げて まァっすぐあなたに届け
Anytime Anywhere  きィっと 二人はもォうォー
Fall in Winter Drea(ィー)m
 ………
 ………
J-POPヲ遅イ再生デ、聞イテミルト!
意味から離れることができた時、
そこには「祝詞のごときJ-POP
」が現れてくる。

現代のJ-POPも、伝統の祝詞も、単語に意味を置かないで
英語だろうと、サンスクリットだろうと、漢語だろうと、関係なく、
語尾の アエイオウ母音ノ変化ト強弱で
メッセージを伝えようと する傾向にある。
(この傾向は演歌でもあるが、演歌よりも単語としての意味が
より希薄化し、原始感覚に再帰しているのが、J-POPだ。)
これら日本の歌における単語の意味は
間を活かすための修飾機能しかもたされていないやうに見える。

さらなる、
古代言法と今の言法に働共通ルール解明は
今後の主題の一つだ。


      

    西欧と日本の歌の違い。一音マトリックスのマトメ 参考二

第一点は、西欧はメロディーと歌が別々である。だからメロディーだけでも曲になる。
日本の歌は本来言葉に節がついたもの。言葉を離れた歌はない。
歌詞を離れたメロディーがない点が日本の歌の独自性である。
第二点は、その本来の歌詞の意味合いは、漢字で表象される意味と違って働いている。
日本語には本来単語というものは存在しない。
一音一音で意味をもち、しかも「あいうえお」の発音の変化によってすべてを表現する。
だから、「あいうえお」の一つ一つ。それからその発音の変化を正しくやらなければ、
本当のところは伝わらない。
 - 葉室 頼昭氏の著作より引用

 

      


     のりと(祝詞)に見る一音マトリックス


      祓詞(はらえのことば)         参考三 - 一

 

掛けまくも畏き  伊邪那岐大神(いざなぎのおほかみ)  筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原(つくしのひむかのたちばなのをどのあはぎはら)に  禊(みそ)ぎ祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸(なりませるはらへど)の大神等(おほかみたち)  諸々の禍事(まがごと)・罪・穢(けがれ) 有らむをば 祓へ給ひ清め給へと  白(まを)すことを聞こし召せと  恐(かしこみ)恐みも白す

 

     大祓詞(おおはらえのことば)     参考三 - 二


  高天原(たかまのはら)に神(かむ)留(づま)り坐(ま)す 皇親神漏岐(すめらがむつかむろぎ) 神漏美(かむろみ)の命以(みことも)ちて 八百萬神等(やほよろづのかみたち)を神集(かむつど)へに集(つど)へ賜(たま)ひ 神議(かむはか)りに議(はか)り賜(たま)ひて 我(あ)が皇御孫命(すめみまのみこと)は 豊葦原水穂國(とよあしはらのみづほのくに)を 安國(やすくに)と平(たひら)けく知(し)ろし食(め)せと 事依(ことよ)さし奉(まつ)りき 此(か)く依(よ)さし奉(まつ)りし國中(くぬち)に 荒(あら)振(ぶ)る神(かみ)等(たち)をば 神問(かむと)はしに問(と)はし賜(たま)ひ 神掃(かむはら)ひに掃(はら)ひ賜(たま)ひて 語問(ことと)ひし 磐(いわ)根(ね)樹根立(きねたち) 草(くさ)の片葉(かきは)をも語止(ことや)めて 天(あめ)の磐座放(いわくらはな)ち 天(あめ)の八重雲(やへぐも)を伊頭(いつ)の千別(ちわ)きに千別(ちわ)きて 天降(あまくだ)し依(よ)さし奉(まつ)りき 此(か)く依(よ)さし奉(まつ)りし四方(よも)の國中(くになか)と 大倭日高見(おほやまとひだかみ)國(のくに)を安國(やすくに)と定(さだ)め奉(まつ)りて 下(した)つ磐(いは)根(ね)に宮柱太敷(みやばしらふとし)き立(た)て 高天原(たかまのはら)に千木高知(ちぎたかし)りて 皇御孫命(すめみまのみこと)の瑞(みづ)の御殿仕(みあらかつか)へ奉(まつ)りて 天(あめ)の 御(みか)蔭(かげ)日(ひ)の御蔭(みかげ)と隠(かく)り坐(ま)して 安國(やすくに)と平(たひら)けく知(し)ろし食(め)さむ國(くぬ)中(ち)に成(な)り出(い)でむ天(あめ)の益人等(ますひとら)が 過(あやま)ち犯(おか)しけむ種種(くさぐさ)の罪事(つみごと)は天(あま)つ 罪(つみ)國(くに)つ 罪(つみ)許許太久(ここだく)の罪出(つみい)でむ 此(か)く出(い)でば 天(あま )つ宮(みや)事(ごと)以(も)ちて 天(あま)つ金(かな)木(ぎ)を本打(もとう)ち切(き)り 末打(すえう)ち断(た)ちて 千座(ちくら)の置座(おきくら)に置(お)き足(た)らはして 天(あま)つ菅(すが)麻(そ)を本刈(もとか)り断(た)ち 末刈(すえか)り切(き)りて 八針(やはり)に取り辟きて 天(あま)つ祝(のり)詞(と)の太祝詞事(ふとのりとごと)を宣(の)れ
此(か)く宣(の)らば 天(あま)つ神(かみ)は天(あめ)の磐門(いはと)を押(お)し披(ひら)きて 天(あめ)の八重雲(やへぐも)を伊頭(いつ)の千別(ちわ)きに千別(ちわ)きて 聞(き)こし食(め)さむ 國(くに)つ神(かみ)は高山(たかやま)の末(すえ) 短(ひき)山(やま)の末(すえ)に上(のぼ)り坐(ま)して 高山(たかやま)の伊(い) 褒(ほ)理(り)短(ひき)山(やま)の伊褒理(いほり)を掻(か)き別(わ)けて聞(き)こし食(め)さむ 此(か)く聞(き)こし食(め)してば 罪(つみ)と言(い)ふ罪(つみ)は在(あ)らじと 科戸(しなど)の風(かぜ)の天(あめ)の八重雲(やへぐも)を吹(ふ)き放(はな)つ事(こと)の如(ごと)く 朝(あした)の 御(み)霧(ぎり)夕(ゆうべ)の御霧(みぎり)を 朝風夕風(あさかぜゆうかぜ)の吹(ふ)き拂(はら)ふ事(こと)の如(ごと)く 大津邊(おほつべ)に居(お)る大船(おほふね)を 舳解(へと)き放(はな)ち 艫解(ともと)き放(はな)ちて 大海原(おほうなばら)に押(お)し放(はな)つ事(こと)の如(ごと)く 彼方(をちかた)の繁木(しげき)が本(もと)を 焼鎌(やきがま)の敏(と)鎌(がま)以(も)ちて 打(う)ち掃(はら)ふ事(こと)の如(ごと)く遺(のこ)る罪(つみ)は在(あ)らじと 祓(はら)へ給(たま)ひ清(きよ)め給(たま)ふ事(こと)を 高山(たかやま)の末(すえ) 短(ひき)山(やま)の末(すえ)より 佐久那太理(さくなだり)に落(お)ち多岐(たぎ)つ 早川(はやかわ)の瀬(せ)に坐(ま)す瀬織津比賣(せおりつひめ)と言(い)ふ 神(かみ)大(おほ)海(うな)原(ばら)に持(も)ち出(い)でなむ 此(か)く持(も)ち出(い)で往(い)なば 荒潮(あらしほ)の潮(しほ)の八百道(やほぢ)の八潮道(やしほぢ)の潮(しほ)の八百曾(やほあひ)に坐(ま)す速開都比賣(はやあきつひめ)と言(い)ふ 神(かみ)持(も)ち加加呑(かかの)みてむ 此(か)く加加呑(かかの)みてば 気吹戸(いぶきど)に坐(ま)す気吹戸主(いぶきどぬし)と言(い)ふ 神(かみ)根(ねの)國(くに)底(そこの)國(くに)に気吹放(いぶきはな)ちてむ 此(か)く気吹放(いぶきはな)ちてば 根(ねの)國(くに) 底(そこの)國(くに)に坐(ま)す速佐須良比賣(はやさすらひめ)と言(い)ふ神(かみ) 持(も)ち佐(さ)須(す)良(ら)ひ失(うしな)ひてむ 此(か)く佐(さ)須(す)良(ら)ひ失(うしな)ひてば 罪(つみ)と言(い)ふ罪(つみ)は在(あ)らじと 祓(はら)へ給(たま)ひ清(きよ)め給(たま)ふ事(こと)を 天(あま)つ神(かみ) 國(くに)つ神(かみ) 八百萬(やほよろずの)神等共(かみたちとも)に 聞(き)こし食(め)せと白(まを)す
                   神社本廳藏版 より

      

 

          
 一音深読みを、一音マトリックス 
   (古代言法)として方法論化。
 漢語と和語の判別能力はもちろん
 原始言語の聴き取り能力を今以上に、グレードアップする。
 古代言法の分析研究で、「ひらがな」開発時の力を再現。
 そこで、わたしたち固有の法・ロゴスを定着させる。
 それは、一種の固有の純粋数学である。
   この「純粋数学」を立上げ、独自定式を確立できた暁に,
   「具足した普遍性」というものについて詳細する。( - 後述)
 「現代美術」としての空間認識、
   創造能力は飛躍向上することになる。

 また、その学際的な研究成果は、
   様々な未来分野への革命的転換を可能とする。

 「も」のごときボカシ用語を採集、
   「も」空間と対応させて分析。

 J-POPに於ける「あらなくに」「ボカシ」用例。
 ノイズを排除。「直覚」のざらざらしたテごたえを唯一の
  根拠として、 「直覚」ある場合にのみ、
  (日常はその直覚を活かすため、整えておく)
  その時に、 一気に直感をとばし、ダルマの雲に乗り数学する 。




      

    「ナバホの諳歌」


  うたいながら、孫へ機織を教えている老婆がいる。
  「機織のできる一人前のおんなになるには、
  まず、このうたをぜんぶ諳んじなくちゃいけないよ」と、
  機織の手を休めることなく、隣の孫に言い聞かせている…。

  ナバホの村の記録フイルムだ。
  ここで、文化人類学的なナレーションが入る。
  伝統の継承とか、労働歌とか、環境用語やうまくできた
  機能的な説明だ。視聴者ももちろんわたしも納得する。
  - 果たして……。

         

  わたしたちのこの了解の順序はABEKOBEだ。
  はじめに諳歌といふロゴスありき -
  (メフィストフェレスの囁きは無視して)
  ここでは、諳歌があってこそ織り込まれてくる具象世界がある。
  そこに初めて、老婆と孫の関係(存在)が開示され、
  コヨーテと月(の本質)の存在が可能となる。……というのに。

  そして、わたしたちこそ、撮影クルーともども、
  一本の糸として、その世界の一枚へと 織り込まれつつ、
  こうして(離れた場所で)観させられている。……というのに。

  いつの頃からか、戦後か、明治以降か、元禄からか、
  飛鳥か、弥生頃からか、わたしたちは、いつのまにか
  ジブン自身が具体と関わっていた視点を廃棄し、代りに
  存在しない抽象点から、世界を見るようになってきている。
  その事態をもうすこし詳しくいうと、権力が集中していく
  ところ、「国家といふ物語」が 要請されてくるのは、
  ある意味、歴史の必然だろう。また、もうひとつの必然として、
  その演繹形態である「私といふ物語」も結果されてくる。
  これは、国家である限り、どんな国家であろうと
  - 封建国家とか、民主主義とか共産主義国家とか
  その国家形態、イデオロギーには関係がない。
  権力組織対個の一般力学である。
  (実は、国家と個の関係を詰めて考えていくと、
  この二つの顔はある同じあるものの両面であるという
  あまりなじみのない結論へと行き着いてしまう。
  がここで詳細は割愛し、個の視点の成立過程のみ考察していかう。)
  国家は、国家の二大管理ツールである「教育」と
  時代の「メディア」を総動員し、 個を「国家という物語」へ
  組み込んでくる。その際、効率よく国家を機能させるためにも、
  国家と個の関係式が必要になってくる。自由、平等、自然、環境、
  人権など、全ての社会、自然分野にわたり、個が規範にそって
  モノコトを見て行動をしていくプログラムだ。
  例えば、その一つが法律という強制プログラムである。
  そこでヒトへ付与された記号は、人権という概念のように、
  具体的には幅も長さもない抽象点でしかない。かくして、国家の
  方程式のもとで、個は、全体のために操作演算されることになる。
               - 詳細は後述。

  近年、その関係式は、 西欧科学という一見普遍的で客観
  妥当するよう錯覚してしまいがちの「もうひとつの物語」
  によって、さらに抽象化され、絶対化されてきた。
  通貨の流通と 同様の手順で、ヒトという価値の流通神話が
  つくりだされて、そこへ
  わたくしたちは、わずかの栄光や、金銭とひきかえに、
  日本といふ物語の取替え可能なエキストラとして出演してきた。

  しかし、それは光を失った死者の眼でモノコトを見、
  また、 同様の死んだ眼たちに見つめられつつ、そこで得た賞賛は、
  虚しく自分といふ物語を演じているゾンビの栄光にすぎないだろう。
  こうした歴史の積み重ねのなかで、
  わたくしたちは、ほんとうの具体を観る本能といったものを
  どこかへ忘れてきてしまったようだ。
  国際金融資本にみられるように、
  現代のインフォメーションテクノロジーの進化で、
  権力の集中はより加速化、それに反比例した
  グローバル化の波はとどまる事を知らない。「日本物語」に代る
  「ワンワールド物語」の始まりだ。その世界物語演出の
  ため動員されたわたくしたちエキストラに与えられている
  視点は、抽象度を増し、幾何学上の点に移し変えられ、もはや、
  生きた人間として、各独自にモノコトに感動する視点ではない。
  人工的に割り当てられた記号としてのアンドロイドの視点だ。
  操作しやすい仮の点、数次元座標の数式にくみこまれた一点が
  あなたと同機してしまったらもはや、独自の具体的な視点から、
  具体世界を観ていくことはできなくなる。

  たぶん何ヶ月か前に撮影されただろうナバホの村での機織り。
  そして、今、その記録をメディアを通して見ている東京のジブン。
  この両者は、あきらかに時空を隔てなんらの必然性も、関連性も
  ないのが当然だとおもい、
  アーカイブデータとしてしか見えないわたくしたち。
  ところが実相は、メディアを通して見ているわたしたちの
  いまの視点さえもあのアイ色の一本の糸として、
  老婆の機織る一枚の布へと織り込まれつつ、
  はじめて、現存在として両者の関係性-縁-が成立しており、
  具足世界への可視的現成が可能となっている。といふのに…。
  全ての現象はデータ化できると思い込み、科学といふもうひとつの
  物語でしかない 直線座標、時の権力ツールである時空座標へ
  還元してしまい何もない視点に身を置いて
  「アッチ向いてホイ」「コッチ向いてホイ」の
  「ホイホイ菌」の蔓延により、
  感染力の強いこの細菌に海馬のシナプス回路まで侵されてしまい、
  結果、 可塑性に障害をかかえたまま、
  一方向でのみ世界をみて、自由と取り違えしてしまふわたくしたち。
  このわたくしたちには、ありのままの世界の現成を、
  ありのままにうけとめることなど、もはや出来なくなっている。
  (例外もある。時空の秘密にもとづいた智慧をはたらかせ、
  社会システム維持のために、権力の集中をタブーとして
  いた縄文中期までの社会。
  あるいは、権力の集中を嫌ったインディオの人々の社会だ。
  この思想は土器の設計思想によく現れている。- 詳細は後述。)

 

     


○  「も」
   「は」確定的な判断。対し、「も」は不確定な判断。
   「も」 - 不確定で、判断できない。 - 詠嘆。

 


          

 


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